2012マンスリーコラム

トップページ

8月号

img


マンスリーコラム 大浦慶

維新ノ志士ヲ愛シタ女傑。


 いつ死んでもいいように身辺をきれいにしたい、と縁切りを告げる男に・・・「お国のために働くにはお金は邪魔になりまっせん。持ってお帰り」と。小判の包みを残して男は去り、女は膳の盃を静かに飲み干す。女三十九歳。盛りの過ぎたことを自覚する寂寥(せきりょう)を「剛毅」に包んで、直木賞作家の筆(白石一郎著『天翔(あまか)ける女』)は、なお、美貌の女傑の誇りと意気地を立ち昇らせる。
 大浦慶。幕末の長崎に集う志士たちを陰で支えた女として維新の裏面史を彩る。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』、最近では猫を抱く余貴美子が扮した大河ドラマ「龍馬伝」(福山雅治主演)で広く知られるようになった。もともと、長崎・油屋町の有力油商の長女の生まれ。大火で傾いた家業を背負って日本茶の交易に活路を見出し、茶の輸出産業への道を拓いて財を成した。
 お茶が生活必需品となった欧米の事情、唯一の茶葉輸出国である清国(中国)の生産・流通停滞を見据える国際感覚に加えて、取引の現実を知るため、茶箱に潜んで上海に密航する度胸と商魂があった。嬉野茶の“試供品”をオランダ人貿易商に託して欧米に直接PRする新商法が輸出品としての大量注文につながる。産業以前だった茶業を育成し、嬉野茶をはじめ、今日の九州茶の基盤を築いたのは、まさに大浦慶であった。
 坂本龍馬、大隈重信、松方正義・・・お慶の庇護・支援を受けて日本の夜明けに働いた若者は知れない。あのとき、「いつ死んでも」と巣立ったツバメ、陸奥宗光は外務大臣となって不平等条約の改正、日清戦争講和に命を賭した。風雲児にありがちな晩年の不遇は女にも例外ではなく、横浜開港による長崎貿易の凋落に詐欺被害が追い打ちとなった。五十五歳の失意の死の床。夢にめぐるは若き獅子たちの面影だったのだろうか。

大浦慶の居宅跡碑
所在地:長崎県長崎市油屋町2番46号

img





トップページ

2012マンスリーコラム