2012マンスリーコラム

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4月号

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マンスリーコラム

座禅デ仏ニ成レルナラ。

 茶の元祖・栄西(ようさい)による鎌倉時代の開山。福岡市博多区の聖福寺。「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」の額が山門にかかる。「扶桑」は日本の称。後鳥羽上皇による日本初の禅寺であることのお墨付きである。仙厓(せんがい)(一七五〇~一八三七)はその第一二三世住職。名刹(めいさつ)にあって身分に隔てなく禅を易しく説いた。機知にあふれる書画と人柄が伝えられて今も人々に親しまれる。
 美濃(岐阜県)の小作農に生まれた。幼小にて得度、在所の寺の小僧となる。向学心は尋常ならざるも、その性は激情の人だったらしい。厳しい禅の修行とされる不眠不休八日間の座禅を十二歳にして体験する。四十歳で聖福寺の住職。この間、武蔵(関東)の地で修行、天明飢饉の奥州路で飢餓鬼の地獄を身をもって体験した。 
 聖福寺の仙厓。元来、僧を養成する学問の府だった寺はこの時代、今日のように庶民の仏事を営むようになっていた。多忙な務めの間、握り飯を手に書庫に篭り、仏法を集成した大蔵経の大部を二度ならず三度も読んだと伝えられる。機知と庶民性で共通する逸話も虚実とりまぜて多い。
 境内の塀を乗り越えてひとりの弟子の夜ごとの柳町(遊郭街)通いが修まらない。雪の夜、仙厓は塀の内側で座禅を組む。それと知らない弟子は仙厓の頭を踏み石に塀を乗り越えるが、朝帰りのあと、師の頭に残る土足の跡を見る。以後、夜遊びはやんだ。湛元(たんげん)。のちに師を継いで住職となる。
 二千点に及ぶとされる禅画の一つ、「座禅蛙画賛(ざぜんかえるがさん)」。薄笑いの蛙が座っている図は、「座禅=悟り」でないことを説く戯画。蛙はいつも〈座禅姿〉というオチである。八十七歳の臨終に「死にとうない」と言って弟子たちを慌てさせたのも諧謔(かいぎゃく)だったのだろうか。 




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