2012マンスリーコラム

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1月号

田中久重


マンスリーコラム

万般ノ機械ノ考案ニ応ズ。


 世界に冠たる物づくりの国の、そのすぐれた先駆。幕末から文明開化の夜明けに活躍し、精妙なからくり人形を考案した揺籃期の才によって「からくり儀右衛門(幼名)」と愛称された天才発明家田中久重がその人である。
 久留米市通町にべっ甲細工職人の長男として生まれる。父の手仕事を飽かず眺めた、久留米がすりの祖・井上伝のために絵模様を織る機械を創案した・・・伝えられる少年期の逸話は好奇心と物づくりの天分を語るのによく引かれる。実際、自慢の人形は大阪や江戸の興行で喝采を浴び、若くして「からくり儀右衛門」の名を馳せた。見世物の一つ、「弓曳き童子」は、四本の矢のうちの一本が的をはずすようにミスを演出して見物人を沸かせた。
 しかし、久重の真価は、創意・細工の才能と知識への欲求を実利に注いで社会に貢献したことである。圧搾空気を利用して灯明の油を自動補給する初期の「無尽灯」はからくりの技の延長だったが、和時計と西洋の時計技術を合体して時の概念を一つの装置に凝縮させた「万年時計」は、匠の技と人生半ばにして学んだ天文暦学の精華であり、佐賀藩で手がけた蒸気船や蒸気機関車(模型)は、蘭学を通して得た西洋の最新技術を駆使したものだった。  
 八二歳で没するまで生涯現役の最後の挑戦が世界の最先端技術である情報通信。明治政府に請われて上京し、ヘンリー、モールスを参考に電信機の国産化に取り組み、「万般ノ機械考案ノ依頼ニ応ズ」の看板を掲げて東京・銀座に店舗兼工場を設立する。「東芝」の源流である。日本を代表する総合電機メーカーは、明治八年七月一日のこの日をもって「創業」とする。





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