2017マンスリーコラム

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7月号
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九州を知る! マンスリーコラム66

一井 正典
(いちのい まさつね)


熊本県人吉市出身
1862年〜1929年(満66歳没)

性西洋ノ近代歯科ヲ
導イタ先駆者。

 虫歯、歯痛で苦しむ同胞(どうほう)は江戸期も少なくなかった。治療とは歯を抜くことである。抜歯は無麻酔。柘植(つげ)を細工した入れ歯は存在したが、利用できたのは一部の富裕層、庶民は神頼みである。一井正典(いちのいまさつね)。明治期に渡米して苦学し、西洋の近代歯科医学を導入した先駆者である。アメリカで歯科医院を開業した第一号の日本人でもある。笑気麻酔、陶材被覆冠、金属冠・ブリッジ・・・トシを重ねて歯科医院通いが繁くなる自らを省みて先人の恩恵を改めて思う。

 確かな志があったわけではない。五歳で明治維新、前年に両親を病(やまい)で亡くした十四歳で西南の役。旧・人吉藩士の惣領(そうりょう)として西郷軍に加わり、田原坂を生き延びた。人吉の町もまた〝戦禍の敗残兵〟である。「明日(あした)」を託せない故郷を出奔(しゅっぽん)同然に、たどりついた東京。偶然に出会った日本人牧師の誘いで米船に乗ったのがすべての始まりである。住み込みで働いた農場の主人がサンフランシスコの診療所を閉鎖して隠棲(いんせい)した元歯科医だったのは天恵であった。

 それは聡明(そうめい)で勤勉な日本人の連環でもあった。かつての診療所では帰国して歯科医学院(東京歯科大の前身)を創設する高山紀斎が学び働いていた。正典が四年という時間をかけて生涯目標を定めることができたのはその縁と信頼による。農作業、牛馬の世話はもちろん、日常雑事から子どもの相手まで誠実に尽くした。主人は歯科医学を基礎から教授して正典を自らの母校であるフィラデルフィア・デンタル・カレッジへ導いた。信頼と愛情の証である。

 滞米九年。DDS(Doctor of Dental Surgery)の学位を得て卒業し、同校教師・開業医、オレゴン州歯科医師会教授を経て帰国。都内に開業、高山歯科医学院で後進を教育しながら治療法の研究・開発に貢献した。医師試験を審査する医術開業試験委員を務め、宮内省御用掛として明治、大正、昭和と三代天皇の診療に与(あずか)ったのは第一人者たる誉(ほま)れである。学院で同僚だった若き野口英世のよき相談相手として米留学に送り出した交友秘話を残している。
(文・山﨑 潔) 
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一井先生誕生の地(現在人吉カトリック教会)

所在地:人吉市寺町5-1

※写真提供:松本歯科医院(人吉市)



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