2016マンスリーコラム

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2・3月号

九州を知る! マンスリーコラム54
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梅ケ谷 藤太郎

福岡県朝倉市出身
1845年〜1928年
(満83歳没)

横綱ハ不敗タルベシ。

 日本出身力士として十年ぶりーーを刻印して大相撲初場所の賜杯を手にした大関琴奬菊。綱取りの大願は同じ福岡県出身横綱の記憶を蘇らせた。十五代横綱として明治前期の土俵に九割五分一厘の歴代横綱最高勝率を残した梅ケ谷藤太郎。筑後川中流域の景観と原鶴温泉が自慢の現在の朝倉市杷木町に生まれた。四股名(しこな)の「梅ケ谷」はその立身を追いかけるようにこの地に根づいた富有柿の特産品「志波柿」に名を残す旧村の山里の地名に由来する。

 生まれた赤ん坊の体重を計量する習慣が幕末の農村にあったのかどうか。現在の度量衡で約五千㌘はあったと伝えられる〝怪童〟は這い回るようになると野良仕事の留守に両親が帯で結んだ十六㌔もの石臼を庭先から道端まで引きずり出すことがたびたびだったという。怪力伝説の始まりである。体格・剛力で人並みはずれた藤太郎は地主家や酒造場などでの力仕事に明け暮れ、宮相撲では無類の強さを発揮して優勝賞品の米俵をかついで帰った。

 土俵人生は巡業中の大坂相撲に飛び入りし、スカウトされて始まった。数年にして最高位に上り詰めたものの、「日本一」は江戸相撲にあった。「番付け外」という初土俵の忍従に耐えて四年、二十九歳の入幕でいきなり優勝を果たし、九年後に頂点である東大関の座に就く。鉄砲と押し、組めば左四つで盤石(ばんじゃく)。この間に達成した五十八連勝は歴代三位、次の場所からも三十五連勝の記録を残した。一場所十日、年間二場所制であった時代のこの記録である。

 「横綱」は番付表とは別格の称号であった。十五代横綱のお披露目となった天覧相撲では直々(じきじき)のお望による大達戦で二度の水入りの末の引き分けを演じて明治天皇の喝采を浴びた。幕内通算百十六勝六敗、優勝九回。先達の谷風、雷電と並べて史上最強と評されたが、その真価は伝統文化が軽侮(けいぶ)されがちな維新後の社会風潮にあって大相撲の正取締(現在の協会理事長)を引き受けて初代両国国技館を建設し、国技としての近代相撲を確立した偉功にある。
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横綱 梅ヶ谷銅像(道の駅 原鶴)
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横綱 生誕の地
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初代横綱若乃花(花田勝治)が寄贈した生誕の地の記念樹

所在地:
朝倉市杷木町久喜宮1665-1

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