2015マンスリーコラム

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4月号

九州を知る! マンスリーコラム45

石橋 正二郎

福岡県久留米市出身
1889年〜1976年
(満87歳没)

世ノ人々ノ楽シミト幸福ノ為ニ。

 「ブリヂストン」のマークを刻印した自動車タイヤの第一号が産声をあげたのは昭和五年四月九日、久留米市洗町の工場の一隅であった。創業家の姓から社名を発想して〈ブリッヂストンタイヤ〉を設立したのは翌年である。昭和史の激動を経て一号タイヤから今年で八十五年。ブリヂストンは世界最大のタイヤ・ゴム会社に成長して百五十か国以上で事業展開し約十四万五千人の従業員を擁する。世界恐慌に加えて数万台に過ぎなかった国内の自動車事情。無謀を唱える周囲の声に抗して新時代の到来を確信した創業者の先見であった。

 石橋正二郎。博多~久留米間に九州で初めて鉄道が開通した明治二十二年に市内の衣料品仕立て業に生まれて商業学校に学び、家庭の事情で神戸高商(現・神戸大)への進学を断念した経緯は正二郎少年にとって挫折であったが、兄とともに家業を引き継ぐや、天賦の資質は与えられた境遇で生き生きと開花する。業容の将来を見通して足袋の製造販売に特化し、量産体制を確立したことが飛躍の第一歩であった。

 品種と文数(もんすう)によって複雑に決められた取引価格を業界に先駆けて均一制に簡素化した、福助足袋など先行大手の物量広告に対抗して九州で初めての自動車を購入して話題性で一矢を報いた、などの才覚・機略は起業家としての片鱗である。足袋にゴム底を接着してわらじ履きの労働環境を一変させた地下足袋の創案、ゴム工業の近未来を自動車タイヤと見定めた見識こそイノベーションの核心であった。

 正二郎はその事業活動とともに文化や地域への貢献で盛名の尽きることはない。東京・ブリヂストン美術館と、来年秋に久留米市に継承される石橋美術館の運営を長年にわたり担ってきた石橋財団。若き日、郷土が生んだ夭折(ようせつ)の画家・青木繁作品の散逸を危惧する坂本繁二郎に収集を懇請されたのがきっかけであった。九州医専(現・久留米大)創設への尽力、美術館・文化会館を核とした石橋文化センターの市民への寄贈は記憶に刻まれてなお鮮明である。経済・雇用の恩恵を超えて「ブリヂストン」が親しみを込めて古里で語られる所以である。

※東京・ブリヂストン美術館については、2015年5月18日よりビル建て替えにより休館となります。


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