2013マンスリーコラム

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12月号
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旧グラバー住宅(グラバー園)

所在地 
長崎市南山手町8-1

九州を知る! マンスリーコラム31

トーマス・グラバー

東洋ノ国ニ夢ヲ託シ。

 洋館が港に映える幕末の長崎・大浦海岸。見物人の驚きと歓声の中を、二両の客車をひいた〝陸蒸気(おかじょうき)〟が黒煙を吐いて走ったことを知る人は少ない。年表で日本の鉄道の始まりとされる東京・新橋駅の汽笛一声より七年も早い慶応元年(一八六五)。上海万博に出品された英国製機関車の輸入品で、長崎の観光名所に名を残す英国人トーマス・グラバーによるデモンストレーション運転が日本の鉄道の発祥である。
 スコッチ・ウイスキーやチェックの紋様(もんよう)で知られるスコットランドから商社員になるべくアジアを目指し、開港間もない長崎に来てグラバー商会を興した。幕末の外圧、維新の騒乱に乗じた武器・艦船の売買で巨利を得たのは裏面史だが、内戦の早期決着は兵器商人にとっては〝誤算〟であり、期間は短かった。よく言われる「死の商人」で括(くく)ってしまえば、二十一歳から五十年におよんだ異邦人の生を貶(おとし)めよう。 振り返って考える。西南諸藩・志士たちと通じて薩長同盟に関与し、海外渡航を切望する有為(ゆうい)の若者の密出国を助けて西洋文明の現実を学ばせたことの意義である。伊藤博文、井上薫、五代友厚ら多くは近代日本の要人となった。国際ビジネスマンとして文明開化期の産業界に果たした役割もある。近代造船の先駆けとなる長崎・小菅(こすげ)ドックの創設、高島炭鉱の近代化、三菱への貢献、キリンビール創業などなど。
 維新の功労者として外国人としては破格の高位叙勲に浴して三年後に没した。七十三歳。妻ツルとの間の長男に子どもはなく、長女は米国人に嫁いで日本での子孫は絶えた。明治の初めに同じように波濤(はとう)を越え来て唱歌『蛍の光』となったスコットランド民謡『Auld Lang Syne(久しき昔)』。同郷の男は愛唱歌と同じように根づいてこの国の土となり、愛妻とともに第二のふるさと故郷・長崎の国際墓地に眠っている。

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トーマス・ブレーク・グラバー之像(グラバー園)
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グラバー家の墓地(長崎市・坂本国際墓地)




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