2012マンスリーコラム

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12月号
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北原白秋記念館(生家)
所在地:柳川市沖端55-1

九州を知る! マンスリーコラム 北原白秋

柳川ハ我ガ詩歌ノ母。

 北原白秋を育んだ柳川は、城下町の風土より有明海に開く沖端(おきのはた)、六騎(ロッキュ)の里のそれであった。〈ロッキュ〉とは漁師の別称。六人の平家の落武者がこの地で漁を始めて集落の今日があるという言い伝えに由来する。全てに大らかで、天気よければ漁に励み悪ければ遊楽にふける暮らしぶりを挙げて、「海に近いだけ南国的で華やか」と、白秋はその気質を評した。
 白秋が海産物問屋・酒造業を営む沖端の大店に生まれたことは知られる。詩歌への関心は伝習館中学時代に触れた島崎藤村の『若菜集』、与謝野鉄幹の『明星』によって触発された。明日の大詩人を夢想して卒業を待たずに上京、若山牧水、吉井勇らと交わり、鉄幹の門をたたいて詩才を磨く。南蛮文化への好奇を幻想的に散りばめた二十四歳の処女詩集『邪宗門』は鉄幹らを伴った平戸・長崎・天草の旅の成果であり、妖しげな耽美の感覚は沖端の遺伝子であった。
 古里での幼少期を追憶した詩集『思ひ出』を二年後に刊行して名声を揺るぎないものにする。しかし、家庭を持つ詩人の暮らしは困窮した。児童雑誌『赤い鳥』の仕事を引き受けたのは生活の問題もあったろう。以来、その情熱は童謡・歌曲の創作に傾き、一二〇〇篇を超える作品を残すことになる。『邪宗門』や『桐の花』などの詩歌集以上に、わたしたちが「揺籃(ゆりかご)のうた」「からたちの花」に親しみ、真価を見るとして、その眼差しによって礼を失することにはなるまい。
  盲(し)ふるに、早やもこの眼
  見ざらむ、また葦かび
  籠飼(ろうげ)や水かげらふ (『帰去来』)
 視力が衰えた晩年、帰郷して詠んだ。〈もはや盲目となってしまった。古里の水辺の葦の芽立ちも、魚とる籠も、水かげろうも見ることはできない〉。古里の風物はすべて薄明、思い出の中・・・である。白秋没してちょうど七十年。「柳川こそは、我が詩歌の母体である」と言い切った詩人の"望郷"の余韻が響く。
 
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沖端界隈
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矢留大神宮・白秋詩碑苑




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